2018年02月02日

自由に生きる人

 
最近のぢんさんの情緒不安定さが、面白いを通り越してなんか可哀想になってきました。龍に脳みそ乗っ取られちゃったんだね(´;ω;`)
契約なんかするからだよ……龍と契約していいのは中学生までだよ……。


心屋さんの教えを実行して「自由になれました!」という人をよくお見かけしますが、不思議なことにご本人が言うほど自由で満たされているようには見えません。
主に金銭的な意味で。

ぢんさんの言う通りに「やりたいことだけやって」たら、存在給が上がってお金が空気みたいに入ってくるはずなのに、おかしいな?
ブログには書かないですが、本人達も心の中でそう思っているんじゃないでしょうか。

私はサッカーはあまり詳しくないのでおぼろげな知識で書きますが、サッカーは手でボール持っちゃダメですよね。
触っていいのはキーパーだけ、それがルール。

一人の選手が「ルールに縛られるのはイヤだ! 俺は自分のやりたいようにするんだ!」と言ってボールを抱えて走り出したら、たぶん笛が鳴って審判がやってきます。
試合が中断されて、観客席からはヤジが飛んだり、他の選手はちょっと嫌な顔したり、審判は注意するでしょうが、それは別に嫉妬しているわけでもお父さんやお母さんを投影しているわけでもないですね。

ただ「皆でルールに同意してサッカーを楽しんでるんだから、それを邪魔するのはやめてね」と言ってるだけで。

でも聞かずにしつこくやってたら、たぶんレッドカードで退場になると思います(なりますよね?)

フィールドから出された選手は「俺はつまらないルールから抜け出した! 自由だ!」とグラウンドの端っこで誇らしげです。

心屋界隈の"自由になった人"というのは、どうもこんな感じじゃないかなという気がします。

まあもちろん、どんなプレイをしようが本人の"自由"です。
でも結局、観客が注目して追いかけるのは、フィールドの中でルールを守りながら活躍している選手たちなんですよね。

手を使わない以外にも、きっと色々な細かいルールがあると思います。そういうルールを当たり前のこととして守りながら、その不自由さの中でカッコいいプレイを決めてみせる。

観客からの注目や応援を受けるのはそういう選手たちであって、グラウンドの外でなんか叫んでるレッドカードさんではないよなぁと。
周りから注目も応援もされない人には、お金も入って来ないだろうということは簡単に想像できます。お金もいろんな形のサポートも、好かれる人、応援される人に集まるんですものね。

もしかしたら、本当にやりたいことだけやって、世間の常識なんて関係なく自由に生きて(しかもお金持ちで)いる人も、世の中にはいるのかもしれません。
でも私はとても生きてる内にその境地には辿りつけそうにない( ;´Д`)

そしてリアルでもネットでも「この人すごいなぁ」と思うのは、きちんと社会のルールを守りつつ、その中で自分の個性や能力をスマートに発揮している人たちばかりです。
なんと言えばいいでしょうかね……「不自由をものともしない」というか「不自由であることに不自由を感じてない」というか。

昔の私は「手が使えないなら何にもできないじゃないか!」といつも不満を抱えていましたが、退場直前で自分の勘違いに気づいて、フィールドに残ることができました。
まだまだポンコツ選手で、華麗なプレイを決めるなんてことはできませんがw周りのカッコイイ人たちにちょっとでも近づきたいなと思ってがんばってますよ。

フィールドの中でルールを守りながら活躍するか、外に出て自分だけの自由を満喫するか。
どっちを選ぶかも、やっぱりあなたの"自由"なんですよねぇ。


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posted by たこわさ at 11:00| 心屋さんの教えを考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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